読書

汝、ふたつの故国に殉ず 感想

汝、ふたつの故国に殉ず〜台湾で「英雄」となったある日本人の物語〜  著:門田隆将

門田さんの『汝、ふたつの故国に殉ず』を読みました。
この本は台湾の為に命を捧げた湯徳章(日本名:坂井徳章)のノンフィクション作本です。

日清戦争後

日清戦争によって日本は「遼東半島」「台湾」「澎湖諸島」を獲得します。
父、坂井徳蔵は台湾の治安を確立する為に台湾で警察になります。

しかし台湾は日本の統治には反対し、各地で暴動が起きてしまいます。
文部官僚の伊沢修二は台湾に教育を優先するべく小学校を設立しますが、反対勢力により小学校の日本人教育者が狙われてしまいます。
狙われた六人の教育者は逃げることをせず、暴徒たちを説論しようとしますが、惨殺されてしまいます。

西来庵事件

坂井徳蔵は湯玉と家庭を築きその間に徳章が明治四十年一月に生まれます。
その後坂井徳蔵は暴徒により派出所が襲われ、家族を逃して自分だけ派出所に残り、銃で応戦しましたが、警察官は次々に討ち取られ坂井徳蔵は満四十歳生涯を閉じます。

日本人と台湾人、双方の血を引く徳章は台湾の為に命を捧げた父の背中を見て育ち、徳章自身も台湾の為に命を捧げることを誓い、その後徳章も台湾で警察になります。

日中戦争

日中が全面戦争になったとき、最前線基地となったのは、台湾でした。そこで始まったのが「皇民化政策」です。それは台湾人の日本人化運動です。

皇民化政策により、変わりゆく台湾を見て、徳章は東京は行くことを決心します。
徳章は東京で、弁護士になる為、高等文官試験に挑戦します。

しかし、中学を卒業していない徳章には、辛い道のりとなります。
徳章は鬼気迫る勢いで受験勉強を繰り広げるようになります。毎日、朝も夜も机に向かい勉強する徳章。その甲斐あって、見事こう高等文官司法試験の合格者となります。

徳章は司法修習になり弁護士以外に、国家中枢で仕事をするため高文行政科試験向けてもう勉強します。
その後、台湾人のために仕事をすることを全うするため、台湾に戻り弁護士になります。

日本の敗戦

日本は第二次世界大戦で負けてしまいます。
日本の敗戦は台湾の日本統治に終わりを告げます。
その後台湾は「カイロ会談」により、中国が台湾を支配することになります。

日本と戦った敗残兵たちは政府の糧食の倉庫の接収を始めます。
お米、塩、砂糖を接収し、そのままジャンク船で、運んで行ってしまいます。
戦勝国の中国が敗戦国の日本の備蓄品を接収する権利を行使され、台湾の財産を強奪してしまいます。
そして、日本語を使うことを禁止され、北京語が入ってきて、台湾人は言語まで奪われてしまいます。

ニニ八事件

台北の行政長官交署にデモ隊が押し寄せます。そのデモ隊に対して、上から発砲が行われ、無差別に銃撃が行われます。
台北市民の怒りは爆発し我慢の限界の達していた状態でニニ八事件のきっかけとなる出来事が起きてしまいます。

林江邁(りんこうまい)という寡婦が娘の林明珠(りんめいじゅ)とタバコを売っていたところを警察と密売取締員に摘発されます。
林江邁が土下座をして許しを乞いましたが、警察官は銃剣の柄で殴打した後お金とタバコを没収しました。
一部始終を見ていた市民が激怒し抗議すると、警察が威嚇発砲をしその銃弾が一人の市民に当たってしまいます。
この情報が不満爆発の導火線に火をつけました。

台南の暴動

台湾人は怒りが爆発し、若者たちがトラックにのり暴動を起こします。
徳章は参議院の立場にあり、重要な情報は、電話で知らされていました。
あちこちで襲撃が起き、参議院はが対策を立てるために招集されます。
討論の結果、「台南市臨時治安協助委員会」が設置され、徳章は治安組の組長に選出されます。

台北での騒動を受けた台湾人たちの怒りは全島に広がり、この二日間で派出所や憲兵隊が襲撃を受けたり、混乱状態になってしまいます。
台南工学院では、武器を持って戦おうとするものや、デモを中心に抗議行動で自分たちの意思を示そうとする者もいます。

徳章は台南工学院に直接乗り込み、学生たちを説得します。
徳章の説得により学生たちは、治安維持の協力に応じます。
台南工学院の学生の大半が武力闘争の道を選択しなかったことで、台南市内は落ち着きを取り戻します。

市長候補

現市長の留任が否決され新市長候補者を三人投票で決めることになります。
徳章は市長候補に選ばれます。徳章は選ばれたことへの誇りが湧き上がり市長候補として台南の将来を託されます。

市長候補に当選したことがニュースで報じられると同時に軍隊が上陸したという情報が台湾に駆け巡ります。
台湾全島に戒厳令が布告され、反乱暴徒が粛清されてしまいます。それにより徳章の身にも危険が迫ります。

突然の襲撃

台南市参議会館に突然国民党軍の兵士が飛び込んできます。徳章は傍聴していた市民などが捕らえられトラックに乗せられてしまいます。

台南の指導者であり、日本人でもある徳章への追及は厳しいものでした。
中国人の目的は具体的に人名を挙げさせることでした。
しかし、いくら拷問しても徳章は屈しませんでした。
政府としては反乱の主犯は日本人ということにしたかったので、徳章は死刑になってしまいます。

死刑決行

台湾の治安を維持するために日本に帰らず、台湾で指導者として貢献してきた徳章は中国政府の思惑により主犯として死刑になりましたが、拷問でも誰一人として人名をあげず、「死ぬ人間は俺一人で十分だ」と言ってトラックの上で民衆に「逆らったらこうなるぞ」と晒されながら三発の銃弾により命を落としてしまいます。

その時に徳章は「私には大和魂の血が流れている」「もし、誰かに罪があるというならば、それは私一人で十分だ!」と民衆に聞こえるように叫び、それを聞いた人たちは驚きと感動で言葉を失っています。そして最後に日本語で「台湾人、バンザーイ!」と言いこれがとどめ言葉となりました。

台湾でも今では湯徳章の業績を讃え、湯徳章記念公園に徳章の胸像が飾られています。
台湾人は今でもこの日本人のことを忘れずにいてくれているのです。

湯徳章の胸像

感想

かなり端折って書きましたが、徳章という人物が台湾にどれだけ貢献したか伝わったと思います。徳章の妻の濫の話は飛ばしてしまいましたが、妻と養子がいて影で支える家族との信頼関係がとても感動します。

現在台湾と日本は友好関係にありますが過去はそうではなくて影で支えた人物がいて現在の関係が成り立っていることを知りました。台湾は恩を倍にして返してくれる人たちで3.11の東日本大震災のときでは人口が少ないにも関わらず約二百億円の義援金を援助してくれました。

ほかにもたくさんありますがこの恩は日本人として忘れてはいけないことであると思います。今回台湾の歴史を知って一層増して台湾に行きたくなりました。

ノンフィクションとは思えないほど感動するストーリーなので是非興味を持った方は読んでみてください!!